…コミュニティ関係で、もう少し続けようと思います(´・ω・`)
イオ横丁の運営面では、鈴蘭も一枚噛んでいるのですが。
共謀者の魔女さんと一致している見解として『箱庭は作らない』というものがあります。
…この点については、過去にも独り言で触れましたが…。
空間が無限の広がりを持っていたとしても。
人間が知覚出来る範囲には限りがあります。
限りがある以上、意識せずとも内と外の区切りが生まれてしまうと思うのです。
確かな中心を定めたとしたら。
自然と区切りも定められると思います。
その区切りの中だけを、世界の広がりとするならば。
皆が中心に寄り添う事で、内に広がる世界の全てを感じる事が出来るでしょう。
しかし、人はそれぞれに立ち位置を持っています。
確かな中心があったとしても、それとは距離を置く…置かねばならない人もいます。
その人から見た世界では。
区切られた、世界の内も外も見えるはずなのです。
注意しなければならないのは。
その区切りとは、中心の都合によって生まれたものであり。
見ている自分自身が、中心を何処に定めるかによって、たやすく変化するものだということ。
不変不動のものではない、という点です。
内や外というコダワリも。
誰かの都合によって決められたもので。
一つの考え方であり、絶対の正しさを持つ訳ではありません。
内に居るからには、中心を意識するのは当然ですが。
内を定める中心に、世界の全てが在るとは限りません。
内の中心だけを見ていては、何かを見落とす事にもなると思うのです。
自分自身を中心として広がる、世界の隅々を見渡して。
自分が世界の中心に在る、という感覚と。
自分だけが世界の中心ではない、という感覚が大事なのかもしれない。
…そんな風に考える鈴蘭です。
『箱庭』では、他者と相容れることが出来ません。
『創造主』と『被創造物』の関係は、私が求めるそれとは違うように思うのです。
自分以外の中心との共存。
拙い自分の文章で、上手く伝わるものかは分かりませんが…。
そうした、他者を同等の存在として認め、尊重する場所にこそ、求めるものがあるように思います。
…思った以上に、意味不明な文になった…(´・ω・`)ウヌヌ
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