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独り言 その壱千四百六拾

 大きいだけの鈴蘭です。




 くまモンがアニメ化…ですか。
 すごいと思う一方で、ちょっと心配でもありますね;

 近年のアニメの制作費用は高騰しており、一社だけで全てを賄うのは困難と言われています。
 現在では、制作委員会を設け、複数の企業や団体で資金を持ち寄ってアニメを制作するケースが一般的です。

 かつて『ガールズオブパンツァー』のヒットで、所謂『聖地巡礼』のために舞台となった地方を訪れる人が増え、自治体の財政が潤った…なんてことがありました。
 これに肖ろうというのか…地域振興の一環で、地方自治体がアニメの制作委員会に参加した作品があったのですが…。
 あくまで『地域振興』を目的とする自治体側の要求によって方向性が定まらず、アニメの制作が難航。
 放送こそされたものの、期待されたような地域振興に繋がるような人気は得られませんでした。

 熊本市とくまモンの今の関係を見るに、杞憂ではないかとも思えるのですが…。
 大きな話になれば、それだけ首を突っ込んでくる人も増えますからね…;



 …っと、時間が。
 また後ほど。



■今日のニークス

 最近、アクション性の高いゲームを遊ぶようになり、自身の視野の狭さ…直截的にも、比喩的にも…を感じている鈴蘭ですが。

 PSO2を遊んでいるときは、『なんとなく』感じていて。
 スプラトゥーンを遊んでいるときは、『もしかして』と感じたことがあり。
 ふと疑問に思って、試しに利き目の左目だけで画面を見て…。

 『ああ、なるほど』と。

 私、利き目で第二象限に位置するものが見えてませんね、これ;
 左目の視点を前に固定したまま、右腕を肩の位置でまっすぐ前に伸ばして、手を開く。
 すると…指先が靄の中に入って見えません。
 次に、消えた指先の位置まで手首を上げてみると…すっかり手が消えてしまいます。
 体質的に、人に比べて死角が大きいとは言われていましたが…。
 こうも見えてなかったんですね…驚きです。

 
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独り言 その壱千四百五拾九

 大きいだけの鈴蘭です。



 Photoshopなどのクリエイター向けのツールを開発・販売するアドビシステムズが主催するカンファレンス『Adobe MAX』がロサンゼルスで開催されました。
 その中で、基調講演に登壇したアドビシステムズ社長兼CEOのシャンタヌ・ナラヤン氏が、こんなことを言ってます。

今ほどデザインが重要な時はない。クリエイティビティの黄金時代にきている。システムだけでなくクリエイティブな役割、ストーリーをきちっと伝える重要性は今までよりはるかに必要。クリエイティビティのパワーは大きなインパクトを与え、今まで以上に大切になった。


 なるほど、『クリエイティビティの黄金時代』ですか。

 黄金時代…。
 …少し。
 今の時代に使う言葉としては、皮肉にも感じた鈴蘭です。

 かつては『どれだけ技術が進歩しようとも、AIには人間のような創造的な思考は出来ない』と言われていたものですが…。
 実際のところ、その『創造的な思考』とやらは、人間だけが扱える無から有を生み出す魔法のようなものではなく。
 感覚器官からの刺激を経験として蓄積する中で生まれた、『ゆらぎ』のようなもので…。
 一定以上のシステムとハードが備わっていれば、人間であるかどうかに関係なく実現できるものだと思います。

 個人的には、『魂』とやらもパソコンで言うところのBIOSに相当する原始的なシステムの一部に過ぎず。
 生命にとって重要な存在ではありますが、それそのものに個性を超えるような価値はないとも思っているくらいです。
 …遺伝によって発展、継承する形を獲得したのは奇跡と言えると思うのですけどね; 

 生命が長い年月をかけて獲得した器官を、人の手で機械的に再現するには技術的な困難を伴いますが。
 ソフトウェアで仮想的に再現した器官を用いてAIに学習させ、創造的な思考を実現させることには成功しています。
 AIが人間に代わって創造的な作業を行う光景は、お話の中だけの出来事ではなくなりつつあるのです。

 AIと人間の協業によって齎される黄金時代。

 それが、多くの人が思い描く未来の姿かもしれませんが…。
 このままAIが進化を続ければ、実際の未来は少し違う姿になるのかもしれません。
 …私は、その未来が悪いものとは思いませんよ?
 この場合の『協業』とは、人が道具を使うようなもので…両者の関係は対等なものではありません。
 しかし…。
 例えばPSO2においては、シャオがオラクルのシステムを司るAIのようなもの(?)とされていたと思いますが。
 彼のように人に寄り添い、人と対等な関係で人と協力する…そんな存在が生まれるのであれば。
 或いは…。

 …え?
 そんな存在は恐ろしい?

 たとえ心があっても、人は大丈夫で、機械ではダメなのでしょうか。
 人であればこそ分かり合える、安心できるというのなら。
 ハナからこの世界は、もっと別の形になっていたと思うのですが…。   
 違う、のでしょうか?;



■今日のニークス

 …上のカンファレンスの中のプレゼンの一つを見て、ふと思ったことが。



 この技術など、AIの進化を示すいい例ではないでしょうか?
 1枚の写真の中から有意の形を見つけ出し、それが何であるのかを識別する。
 多くの人にとっては当たり前に出来ることで、驚くべきことなどなにもないことですが…。
 プログラム的には、何気に非常に面倒な処理をせねばならず、かつてのAIでは実現困難とされていました。

 そこに1枚の写真があることを分からせるのは簡単です。
 その1枚の写真にどんな色が使われているのかを分析することは簡単です。
 しかし、その1枚の写真に何が写っているのかを理解させることは簡単ではありません。

 …。

 なんとなくですが。
 これを思い、自分のことを省みた鈴蘭です。



 なんというか…。



 ゲームを遊ぶ私は、そこにゲームがあることを認識し、そのゲームにどんな要素があるのかを知ってはいても…。
 そのゲームが、どんなゲームであるのかを理解していない。
 玩物喪志…とはよく言ったもので。
 何かにこだわり、心が貧しくなっているのが私という人間ですから;

独り言 その壱千四百五拾八

 大きいだけの鈴蘭です。





(C)TEZUKA PRODUCTIONS (C)ForwardWorks Corporation (C)COMPILE HEART
Developed by WINLIGHT


 手塚プロダクション公認の手塚キャラ美少女化ゲーム…ですか。
 ものを知らないので、こうしたものをどのように表現したら良いのか分からないのですが…。
 『絵師たちは、“神”のチカラを借りて、“シメキリ”と戦う!』というキャッチコピーから見るに、単純に原作を擬えるものではなく…原作にメタ的なアレンジを加える内容になる…のでしょうか。
 原作のキャラクターが原作を飛び出し、本来であれば有り得ない、当事者が原作を外から見ながら語りを入れる…みたいに。

 …ふーむ。

 既に完成しているキャラクターに、独自解釈を加えて描き直す。
 二次創作では珍しくもないことですが…。
 公式に商業的に行う…となると、どうなのでしょう?
 後ろ向きな考え方かもしれませんが、『個人の解釈』という逃げ道が無くなり、原作に新しい『公式の見解』を付け足すことになり…下手をすれば、原作を壊すことにはしないでしょうか。
 『ネプテューヌ』をヒットさせたコンパイルハートが作るのですし、その辺りは上手くするのでしょうけど…。

 どのようにお話として纏めるのか、そこが気掛かりであり。
 どのようにお話として纏めるのか、そこが楽しみな鈴蘭です。

 …ただ、Twitterの反応を見るに、批判的な人もいるようですね;
 まぁ…原作を第一に考えれば、そうした反応も分からなくはありません。
 しかし、個人的な意見を言わせて貰えば…。
 『名作は読まれない』なんて言葉があるように、良い作品、思い出深い作品であるほどに、触れる機会が減るものです。
 それは、人々の心の中で作品が思い出として生き続けているからだと思います。
 …ですが。
 その実、読まれない作品は、思い出の中で緩やかに朽ちるのを待っているだけなのではないか、とも思えるのですね。

 …それって、作品を大事にしていることになる…のでしょうか?

 私自身、朽ちさせるタイプの人間なのですけど…正直、よく分かりません。
 むしろ今回のように何かの形にして、朽ちさせまいとすることが、より大事にしていると言えるのではないか…とも。
 …結局。
 人それぞれ、大事に思う気持ちがあり。
 それを表す方法は様々。
 好きだからこそ認められない、譲れないものがあるのも分かりますが。
 自分が好きなものを相手も好きというのなら。
 その気持ちを汲んで、相手の言葉を待つくらいはしてもいいのではないでしょうか?



 思い出を大事にするあまり、思い出以外の全てを否定してしまう。
 それは…。
 何を大事にしてのことなのか。

 思い出は自分だけのもの。
 作品は皆のもの。

 もう少し、大事を考える必要があるのではないか。
 …そんなことを思った鈴蘭です。

独り言 その壱千四百五拾七

 大きいだけの鈴蘭です。

 ここ数日の大阪は季節らしい陽気で…秋から冬へと移りゆく、その只中に在ることを実感できる穏やかな日が続いています。

 その一方で…。




 ああ、綺麗ですね。
 こうして見る雪のなんと美しい事か。

 …などと言っても、雪国の人からすればピンと来ないかもしれません。
 むしろ雪など、ただただ煩わしいだけのものかもしれませんね。
 しかし、雪が滅多に降らない土地の人間からすると、雪というものに憧れがあり…。
 特に雪の日の静けさは格別だと思えます。
 降り積もった雪に街の音の全てが溶け、聞こえるのは自分の息の音だけ。
 まるで世界に自分だけしか居ないかのような寂しさを感じさせてくれますから。

 …寂しさ、というとネガティブにも聞こえるかもしれません。
 でも、決してそればかりでもないと思う鈴蘭です。

 何というのか…。

 人里離れた場所に住んでいるのでもない限り、私達は人間の息遣いを常に身近に感じています。
 誰かがいるから、自分がいる…とでもいうべき感覚です。
 それは、誰かから見た自分というものを自分自身として捉えることで。
 他でもない自分自身が、自分をどう捉えているのかを突き詰めた末の『答え』ではないように思います。
 
 雪の日。
 音のない世界に自分だけ。

 そのとき、孤独から寂しさを感じるかもしれません。
 しかし…。
 そんなときだからこそ、自分自身というものを、より近くに感じることができるのではないでしょうか。



 …って、こんな考えなど、意味のないことなのかもしれませんがね;



 今年は雪が降るのかなぁ…。
 今から少し、冬が楽しみですよ。



■今日のニークス

 今日は月曜。
 スプラの日です。

 最近は、エイムの練習をした後は、特に深く考える事なく実戦に臨んでいる鈴蘭です。
 何事においても、上達する上で考えることは大事です。
 しかし、私の場合…その考えによって足元を掬われ、前に進めなくなっていることが多く。
 同じところで、同じことを考え、足踏みを繰り返し…ただただ時間を無駄にしがちです。
 いえ、それは無駄と言いきれるものでもないのかもしれません。
 でも…もっと時間の使いようはある筈です。
 特に私の考えるような事は、考えるだけで得られるような答えなどなく。
 実践の中で答えを見つけねばならないのですから。

 足が止まるような考えを持ちこまず、進めるところまで進もう。
 空っぽの頭に考えが浮かぶまで、ともかく進もう…と。

 もっと他にやりようはないのか、と思わないでもないのですが…。
 大凡の基本を教えて頂いた今。
 私が、自分で、その先を探さねばなりません。
 私が私の遊びをするために。



 今日の練習の中で感じた疑問やら何やらは…未だに言葉にならず。
 ここに続けて書こうと思ったのですが、上手くいきませんでした;
 なので…それらについては、また改めて書こうと思います。

 交戦中も、『今のは良くなかったように思うけど、何がいけなかったんだろう?』と。
 後ろを振り返り、足を戻し、銃を構え直し、考え…。
 今すべきことを見ずに、自分のことに囚われ続ける。
 今回は、中身がありそうで、まるで無い…私そのものについてだけ。

独り言 その壱千四百五拾六

 大きいだけの鈴蘭です。

 アズールレーンの関連企画…というのでしょうか。
 同タイトルの昨今の人気に目をつけた或る企業が、VR技術を使った『ゲームキャラクターとの現実の結婚式』をプロデュースする商品を開発するため、クラウドファウンディングで資金を集めていました。
 しかし、ユーザーの求めるところとズレがあったのか、期日内に目標額に到達できずにプロジェクトは頓挫。
 確か9月末が期日だったと思うのですが、その後の話を聞くこともなかったので、てっきり立ち消えたかと思っていたのですね。

 ところが…。


 
 先日、上記のようなお詫びが掲載され、プロジェクトの概要が知れました。

 プロジェクトの中止の原因は、クラウドファンディングの不成立によるものではなく、企画した企業の不手際にあった…と。
 声優へのオファーもなしにプロジェクトを始め、クラウドファウンディングの支援者に渡す支援品の開発目処が立っていないうちに支援品があるかのように示して資金を集めた…云々。

 …これは、不手際というレベルなんでしょうか。
 企業にそのつもりは無かったかもしれませんが…これ、支援者から詐欺で訴えられてもおかしくないんじゃ?;

 アズールレーンの公式ネット番組内で紹介があったので、事前に版権の使用許可などは取っていたと思います。
 なので…もしかしたら、それで権利問題のすべての話が済んだ…と、企業が勘違いしたのでしょうか。
 新規のプロジェクトを立ち上げるに当たって、企業側は運営以外にも話を持って行かねばならないことを理解していなかった…とか?
 …ちょっと考えにくい話ですね;
 もしそうなら、運営と企業間でどんな契約を交わしていたのかが気になります。
 今回は『ケッコンVR』を企画した企業がやらかした形になっていますが…。
 誤解を招くような曖昧な契約を交わしていたのだとしたら、運営の今後が心配ですから。

 色々なコラボを実現し、急速にマルチメディアに展開をしてきたアズールレーン。
 そのスピードは、運営のフットワークの軽さにあると思います。
 それは確かに長所ではありますが…。
 その長所を活かすために、何かが犠牲にされてきたとしても不思議ではありません。
 これまでは、それでも良かったのでしょう。
 でも、これからは…。

 それを思うと。
 大きなトラブルが起きる前に見直す機会を得られて良かったのかな、と。
 そんなことを思った鈴蘭です。



■今日のニークス

 この週末は第二土曜があり。
 恒例の褐色集会に参加してきました。

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                   (C)SEGA

 毎度毎度思うのですけど…。
 皆さん、コスやロビアクに随分投資してますよね;
 それは好きなことの表れでもあるでしょうし、別段不思議なことではない…と思うのですが…。
 なんと言いますか。
 人の様を見て、改めて私の事を考えさせられます。

 私は一度『これが良い』と決めると、そこからなかなか変えようとしないところがあり。
 服にしろ何にしろ、気に入ったものをずっと使い続けます。
 愛着といえば聞こえは良いのですが。
 それは『これはこれでいい』と疑念も持たずに頭から決めてかかる…思考停止にも通じた、私の悪い癖の表れ。
 決して、良いことでもないのです。

 特に…。

 ネットワークゲームにおいては、アップデートの度に環境が変わります。
 どれだけ『良いもの』であっても、すぐに型落ちし、時代遅れになり…『良かったもの』になります。
 私はその変化を理解しないまま、認めないままに『良かったもの』だけを見がちです。
 この辺りは、私がエンジョイ勢と言われる所以でもあろうかと思います。
 ただ…。
 私としては、そうした変化に無関心ではいけないとも考えています。
 『良いもの』の良し悪しを知った上で『それでも好きだから』と判断し、選択できてこそ『良かったもの』に価値が生まれるのではないか、と。

 …まぁ、あれです。
 言葉を重ねて取り繕ってみたものの…。
 要は、私の不勉強を棚に上げるな、ということです;



 褐色集会であれ何であれ。
 知る機会を得るのは幸運であり、幸福なことです。
 それを無駄にはしたくないものですが…。

 私は、果たしてそれを理解しているのやら…;