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独り言 その弐千弐拾弐

 大きいだけの鈴蘭です。

 TwitterのTLに、『雨には雨の匂いがある』と呟いていた方がおられ。
 続けて、その方が『この話を東京の人にすると変な顔をされる』と仰っておられたのに驚きました。

 雨の匂い…。

 まぁ、そうか…東京の都心ともなれば、そもそも雨に濡れた場所を歩く機会が少ないでしょうかね;
 でも、少しでも外を歩けば分かるはず。
 都会であっても、雨の匂いはあると思います。
 鉄とコンクリートとアスファルトばかりであっても、それらが雨に打たれれば、雨の匂いを放ちますから。
 それは土や木の放つものとは違いますし、 雨の匂いを知らないという人は、それと気が付いていないのかもしれません。

 都会にあるはずがない…と、自然の齎すものを見過ごして。
 自然の少なさを嘆き、自然の多い環境に憧れる。

 それは、少しばかり勿体ないと思います。

 都会にも、都会ならではの自然があります。
 天然の自然の中にしか自然は無い、と考える人は…。
 たとえ自然の中にあっても、自然を感じることが難しいかもしれませんね。



■今日のニークス


 グラフィックアップデート。
 心待ちにされていた方も多いのではないでしょうか。
 来週の褐色集会は、皆さん喜び勇んで…賑わいそうですね。
 楽しみなことです。

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独り言 その弐千弐拾壱

 大きいだけの鈴蘭です。


 ほほぅ。

 ジオラマ的な雰囲気を醸し出し、プレイヤーが小さな世界に迷い込んでしまったかのような、不思議な体験をさせてくれるゲームは、過去にもありました。

 ただ、それらはあくまで仮想の中に作られた世界であって…現実には存在しないもの、であったと思います。
 実際にジオラマを作って、それを用いてゲームを作る…ですか。

 面白いですね。

 記事には『ジオラマがもたらす物語への温かみ』とあります。
 ここが非常に気になるところです。
 作り手の考え方、作品のコンセプトによって違いはあるでしょうが。
 ゲームであれ絵であれ何であれ…作品にリアルな説得力を持たせるために、そこに写実的な美を追求すれば何れ壁に行き着くと思うのです。
 『まるで現実のような』という、そんな評価の壁に。

 敢えて人の手による創造を選ぶのです。
 作るのであれば、それは現実を超えるものでなければ。

 この作品は…ジオラマを使い、現実から仮想の表現の限界に寄せていく…そんなアプローチをしているようで。
 私には、『まるで現実のような』という壁を、向こう側から越えてくる格好になっている…非常に興味深い作品なっていると思えます。

 どんなゲームになるのでしょうね。
 楽しみなことです。

独り言 その弐千弐拾

 大きいだけの鈴蘭です。

 そういえば…。

 先日の馬車の話の中で、日本では地形の問題もあって馬車が発展しなかった、という話をしましたが。
 改めて考えてみると…。
 そもそもの馬からして、昔の日本においては運用されることが少なかったな、と。

 大河ドラマなどでの合戦シーンでは、騎馬隊が敵めがけて突撃する…という光景が見られます。
 テレビから受けるイメージでは、戦国時代の有力者たちは騎馬隊を揃えて運用していたように感じられると思います。
 ここで戦国時代、騎馬隊で有名だった武田家の実際の編成を見てみると…。
 騎馬武者1人に数名の徒士がついて小隊を成し、突撃は小隊が一丸となって行っていたようで。
 テレビで見られるような、騎馬武者だけの部隊で突撃するようなことは無かったみたいです。

 武田家の好敵手たる上杉家では、機動戦を重視する為に軍の編成を『騎馬隊:鉄砲隊:その他:槍兵=1:1:1:7』の比率にしていたという記録もあり。
 コレは、維持運用に費用の掛かる一方で、地形の問題で長所である筈の馬の機動力を活かしづらかった為に、費用が安くて地形の影響を受けない歩兵…槍兵が重用されたとも見れます。
 特に…上杉家が治めていた越後一帯は、今でこそ広大な平野が広がる穀倉地帯ですが…戦国時代の頃は大小の川から絶えず水が平野部に注ぎ込み、広大な湿地帯を形成していたといわれていますしね。
 湿地帯を移動するのに馬では不便であった…ということなのかもしれません。

 織田信長は鉄砲の集中運用で有名ですが、若かりし頃の彼が自軍の強化に乗り出した際、最初に目をつけたのが槍でした。
 刀剣に比べリーチに優れ、数を揃えて並べて槍衾を作れば、練度の低い兵士でも戦いに参加できる。
 弱兵揃いと言われた尾張の兵で、如何に周囲の列強たちと渡り合うかを研究して出した答えです。

 槍かぁ。

 子供の頃、真田幸村を題材にした本を読んだ覚えがあるのですけど…。
 確か…大阪夏の陣で、作中の彼は槍を片手に徳川家康の本陣を目指して突撃していたと思います。
 でもこれ、昔の戦国武将のイメージを当てはめたもので、史実とは違います。
 徳川家の記録では、大阪夏の陣で徳川家康の本陣に突撃した真田幸村は特殊な馬上筒(馬に乗って使えるよう小型化した火縄銃)を携えていたと記されていますから。

 馬も槍も、人が思い描いた虚像…というのはキツイ言い方でしょうが。
 でも、作り上げられたイメージの強固なこと…。
 驚くばかりです。

 それだけに、新しい発見に心が躍るのですけどね;

独り言 その弐千壱拾九

 大きいだけの鈴蘭です。

 3月に入った途端、一気に春めいた陽気になりましたね。
 今日の大阪の最低気温は14℃、最高気温は19℃でした。
 一日を通して殆ど気温が変わらず、なんとも穏やかな…。

 いや、穏やかとも言えませんか;

 今日は気温の上では穏やかなものでしたが、強風が吹く…春の嵐とでも言うべき、荒れた一日でもあったようで。
 北海道では猛吹雪に見舞われているとか。
 荒天は西から東へと移っているそうで、明日以降も全国的に不安定な天気になるようです。
 あいにくの…か。

 まぁ…。

 こうして冬から春へと移りゆくものですし。
 春が、もうすぐそこまで来ている証と思えば…。
 この天気も良いもの、ではないでしょうか。

独り言 その弐千壱拾八

 大きいだけの鈴蘭です。


 馬車、というものの歴史は古く…。
 紀元前3000年頃、車輪が発明された青銅器時代には存在したと考えられています。
 紀元前700年以降のローマや中国では馬車の軍事利用が盛んとなり、御者、弓兵、槍兵が乗り組む戦車が多数用いられたという記録も残っていますね。

 意外に思う人もおられるかもしれませんが…。

 古代において、人が馬を用いる方法は騎乗よりも馬車が一般的でした。
 かつての『馬に乗る』という行為は、裸馬に跨り、騎手の脚力だけで身体を支え続ける大変危険なもので、誰もができるものではありませんでしたから。
 幼い頃から馬と共に生きる騎馬民族か、高度な訓練を積んだ軍人にしか、馬に乗ることができなかったのです。
 しかし西暦300年頃になって、鐙(あぶみ)という馬具が発明されたことにより乗馬の習慣が一般に広まると、馬車の需要は低下します。
 古代の馬車にはサスペンションに相当する仕組みがなく、車輪から伝わる衝撃が直接乗り手に伝わる為、その乗り心地は最悪。
 戦車も、よほど条件の良い土地でなければ前に進むのも一苦労だったようですしね。
 日本において馬車が発達しなかったのも、平野部が少なく急峻な地形が多いことに理由の一つがあるのかもしれません。

 そんな、馬車に馴染みの薄い日本人からすると、ピンときませんが…。
 古代においては、同じ経済圏に属するコミュニティで馬車の車輪の大きさを統一し、集落の入口の轍の深さで馬車の出入りを制限する…といったことも行なわれていました。
 記事にあるように、完全な形で出土した馬車の装飾などから、当時の文化、風俗を知ることができるのも大きいですが。
 車輪などから当時のポンペイが置かれていた政治的、経済的な状況も見て取れるかもしれない…と。
 古代の馬車が現代の我々に声なく語りかける内容は、どれもこれもが非常に興味深いものであると思う鈴蘭です。



■今日のニークス

 FPSを遊ぶことによって、課題遂行能力の向上が認められる…。

 そうはいうものの、なかなか我が物にできません。
 大袈裟すぎるくらい、極端すぎるくらい単純化して物事に当たるべき…とアドバイスは受けました。
 しかし、なかなか…そのアドバイスを活かせない私。

 やるなら徹底的に、かぁ。