改めて、ここしばらくの独り言を見返してみて…。
最近のことをまとめるつもりで、結局、その時その時に思いついたことを適当に書いていたため、同じ事柄を扱いながら、全くまとまりのないものになってしまいました。
言葉が軽く…内容も薄くなってきていると思っていたところで、こうしたものを書いてしまい。
これではいけない。
どうしようか…と考えて。
自分なりに整理してみた結果…今回の形に。
改めて、ここに書く必要があるものか、と言われると…よく分かりません。
しかし、言葉にして書くことで、自分自身が見えていなかったものが見えてくることもあります。
形の無いままで良いと思って、形のあるものまで見えなくなってしまっていた私。
先日の『助長』の故事を見て…思い出したのです。
私のしたかったことが何であったのかを。
好きな人に馬鹿にされるのは、しょうがないと思います。
私に足りないものが多いのは事実ですから。
しかし…。
好きな人に軽蔑されるのは、悔しいことと思います。
それは、私がすべきことを怠った結果なのですから。
鳥にとっての、良い止まり木。
そうありたいと思い…。
そして、それを理由に停滞した…努力を怠った私の顛末です。
アークスを始めて、そろそろ丸6年。
3年ひと昔…なんて言いますが。
ふた昔が過ぎ去る時間は、驚くほどに速く。
この6年は本当にあっという間でした。
…いえ。
私にとってはあっという間でしたが。
皆さんにとっては、どうだったのでしょう…?
もう数年前のことになりますか。
『ヘタレ克服』と言いながら、ACカードを投げてくれた方と出会ったのは。
そのおかしな物言いは、今も深く印象に残っています。
口にはしませんでしたが…ACカードの内容と、その言動から何かの傷を抱えているのかも、と感じ。
その時の私は、傷ついた小鳥を拾った心持ち…とでも言えばいいでしょうか。
心配…同情。
そこに、そうした気持ちがあったのは事実です。
…しかし、実際のところ。
時間をご一緒する中で、小鳥と思っていたその方は、立派な翼を持っていることを知り。
この鳥に心配や同情などとんでもないことで。
むしろ、救われているのは私のほう。
この鳥は…その気になれば、きっと空高く舞い上がれるのだろうと確信しました。
ただ…もしかすると、『何かの傷』を理由に飛ぶことを嫌がっているのかもしれません。
しかし、鳥は空を飛ぶために生まれるもの。
きっと遠からず、在るべき場所に帰ることになるはずです。
ならば、それまでの時間を私なりに大事にしよう。
…それが、私が最初に決めたことでした。
それから程なくしてのこと。
比翼の鳥…などといいますが。
そんな言葉に相応しい、価値観を共有できるパートナーを見付けたようで。
お互い、いい相方を見付けられて良かった…と。
その出会いを、素直に喜んだものでした。
それからというもの。
鳥たちの、空の話を聞かせてくれる時間、空の景色を垣間見える時間は、私にとっての楽しみとなりました。
私も一度は憧れた空のこと。
もっと聞かせて欲しい、見せて欲しい…とも思います。
何しろ私は、鳥たちの飛んでいる空のことを何も知りませんから。
ですが…。
空を飛ぶということは。
鳥が鳥であるということは。
私が考えている以上に大変なことなのかもしれず…。
いっとき、鳥である辛さを忘れたいと思っているのに。
ここで私が鳥であることを求めるのは、気の毒かもしれない…と思うようになりました。
でも、私には鳥たちを助けられるような知恵はありませんし、安らぎを与えられるような包容力もありません。
だったらせめて。
羽根を伸ばす、なんて言葉があるように。
鳥たちには、好きなことが出来る時間を送ってほしい…と望むようになったのです。
…しかし、そう望んではみたものの。
では、私は何をすれば良いのか。
そもそも、そこに私など必要ないのではないか…と、途方に暮れたこともありました。
でも…。
悩むうちに思うようになったのです。
私が異分子として居ることに意味があるのではないか、と。
鳥たちには理解し難い、不条理なことを考える私であるからこそ。
私を通して、見るべきものが鳥たちには見えているのかもしれない。
ならば、鳥たちと一緒に居るために、私は鳥とは違う異分子でいよう。
鳥そのものではなく…止まり木のようなものに。
…それが、私が2つめに決めたことでした。
それからは色々とありました。
考え深い二羽の鳥でしたが…。
トラブルによって、溝ができたこともありました。
距離が離れてしまったこともありました。
正直、大事にしようと決めた私自身が不甲斐なく。
そうしたときに、私はただの傍観者でしかありませんでした。
いえ…むしろ、私が鳥たちを傷つけてしまったかもしれません。
或いは、私が鳥たちの悩みを深くしてしまったかもしれません。
鳥たちにしてみれば、そんな私が鳥たちを大事にしているとは思えなかったことでしょう。
それが、今も私の中に後悔として残っています。
…いえ…。
それは思い上がりというものでしょうね。
何しろ私は、そもそも鳥のなんたるかを知らないのです。
さも知っているかのように振る舞うのは、不実というものでしょう。
知らないのであれば、鳥たちに聞けばいいことなのかもしれません。
しかし…私は、下劣な存在です。
それでは、きっと私の無思慮が鳥たちを傷つけてしまいます。
過ぎた卑下と受け止められ、鼻につくと思われるかもしれませんが…。
私というものの出発点にある事実であり。
本当に…こればかりは容易に変えられないのです。
そんな恐れを感じた私は、どうすべきかを考え。
聞き出すのではなく。
話してくれるのを待つ。
距離を詰めるのではなく。
距離を詰めてくれるのを待つ。
…そんな方法を選んだのです。
いえ…選んだ、というのは嘘ですね。
なんの事はありません。
それは結局『いつもの私』だっただけの事なのですから。
そうして生まれた時間は、鳥たちにとってはどんなものだったのでしょうね。
結局、こんなものは私の思い込みに過ぎず。
鳥たちの求めているものとは、かけ離れたものだったかもしれません。
私が距離を詰めないという姿勢は。
立場を変えて、鳥たちから見れば…。
それは拒絶にも見えたことでしょうから。
鳥を寄せ付けない止まり木。
そんなものになるつもりは無かったのですが…。
気が付いたときには…いつの間にか、私はそんなものになってしまっていました。
時間を大事にしよう、羽根を伸ばしてもらおう…それだというのに、これでは本末転倒もいいところ。
やはり私には分不相応の、向いていないことをしようとしてしまったか…と。
そんな思いが頭に浮かび。
鳥たちに暇を乞い、ここを去るべきかを迷うようになりました。
…それでは本当の解決にならないのは承知しています。
ただ…楽しみに来ている場所に、楽しみ以外のことで時間を使わせてしまうことにもなりかねないのです。
ここで取り除いてしまうのも、一つの手ではないでしょうか?
…などと考えていた、その矢先に私の勘違いがあり…。
先日の、独り言の紆余曲折へと繋がったのです。
私の何かを認めてくれる限り。
私は、それに応えたいと思います。
ただ…それは人の普通とは違うかもしれません。
目の悪い私には、空高く飛ぶ鳥の姿を見ることは出来ません。
ですが、たとえ姿は見えなくとも…空を飛んでいるであろう姿を想像すると、嬉しくなります。
あの時に始まった時間は、何処かで今もきっと続いている…そう思えますから。
私にとっては、相手を目の前にしなくとも時間を共にすることは出来るのです。
『待つ』という時間も、私にとっては楽しみなのです。
これは、ただの自己満足に過ぎない…と思われるでしょうか?
そうかもしれません。
でも…鳥を待つ止まり木の気持ちというものは、こうしたものではないか…などと思う鈴蘭ですから。
止まり木としてもなっていない私が何を、という話ですが;
でも、こうした形は…そもそもが可怪しいのでしょうか…?
これが相手の望む形であるのか…いつも私は不安を感じています。
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