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独り言 その壱千七百壱拾七

 大きいだけの鈴蘭です。


 エルゴノミックキーボード…ですか。

 私たちの身の回りのものの多くは人間工学に基づいて設計されており、人にとって使いやすい道具として、在るべき形をしています。
 パソコンのキーボードも、人間工学に基づいた形にしようと、昔から試行錯誤が繰り返されてきました。
 確か、その過程で球形のキーボードなんかも作られたことがありましたっけ。
 携帯のテンキータイプの仮想キーボードのように1つのキーに複数の機能を持たせ、左右の手がそれぞれに操作するキーの組み合わせで入力を行うという…。
 QWERTY配列のキーボードでは指の動き、手の動きが大きく、非効率的だということで考えられたそうですが。
 どうなんでしょうね。
 結局は慣れの問題だと思います。

 人間工学に基づいて作られた道具であっても、個人差があるわけで。
 体の大きさ、手指の形、動きの癖…それら全てが同じ人などいないでしょう。
 工場で規格に沿って大量生産される商品では、それら全てに対応するのは不可能です。
 皆が使いやすい形とは結局、皆が使いにくい形であるかもしれません。

 ただ…。

 それはそれで良いのではないでしょうか。
 今日び、最高の一品を手に入れたとしても、それを使い続けられるとは限りません。
 


 …っと、時間ですか。
 また後ほど。



■今日のニークス



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独り言 その壱千七百壱拾六

 大きいだけの鈴蘭です。

 11月も半ばを過ぎ、いよいよ冬の気配が…と思っていたのですが。
 大阪の今日の日中の気温は25℃あまり。
 とても11月とは思えない陽気でした。

 一体、冬は何処に…。

 かと思えば、明日の予想気温は10℃あまりとか…。
 目まぐるしく気温が上下しますね;
 最近、秋が短くなった…と感じるのはこういうとき。
 季節は移ろいゆくものと思っていたのに。
 ある日を境に、スイッチを切り替えるように季節が急激に変わる。
 いつしかそれが当たり前になるようで。
 少し…。
 …いえ。
 大いに気掛かりで、寂しく思う鈴蘭です。



■今日のニークス

 スピアと盾、ドリルと迫撃砲…と。

 最初はスラスターとブースターを使った立体機動など、とても自分には出来ないと思い、盾でのガードと砲火力を重視したスタイルを考えていたのですが。
 少しずつ自分にも出来ること、出来ないことが見えてきて…。
 やってみたいこと、が出来。
 結果、より機動重視のバランス型に落ち着きつつあります。

 スラスターでダッシュしてブースターでジャンプ。
 慣性ジャンプでの移動は楽しいですね。
 フランスの発明家が乗っていた飛行機械の魅力が分かるよう。
 ただ、楽しんでいてばかりでは敵は倒せません。
 この力は地球を守るためにあるのです。
 如何にして戦いに活かすかを考えねば。

 そこで…。

 高速で移動し、味方に先行して接敵。
 脅威となる敵に仕掛け、これを排除して離脱。
 火力が足りないのであれば、注意を引きつつ盾で持久。

 …という行動を考えたのですが。
 自衛のための行動と違い、何をどうしたものかの判断が難しいです。
 自分の選択は味方の為になっているのか。
 助けようとして足を引っ張っていないか。
 守ろうとして危機を招いていないか。
 何かを選ぶたび、『こんなことをしている場合なのか?』という疑問が頭に浮かびます。

 敵の足を折って支援火砲の的にする?
 いえ…失敗のリスクを思えば、敵がこちらに狙いを定めて射撃姿勢をとるよう仕向ける方が確実でしょうか?
 いやいや、そもそも味方の支援ありきで行動していいんでしょうか?

 考えにもならない考えばかり。
 その考えも、自分の手にしているものに左右され、偏ってしまうのも問題です。
 槍を手に、突くことばかり。
 銃を手に、撃つことばかり。
 盾を手に、防ぐことばかり。
 つくづく、融通が利かない頭をしているな…と、我ながら呆れてしまいます。

 …まぁ。

 その『気づき』が楽しいのですけどね;

独り言 その壱千七百壱拾五

 大きいだけの鈴蘭です。

明太コンポタ…(´・ω・`)
©2017 SANDLOT ©2017 D3 PUBLISHER


 地球防衛中に見かけたお店の一つですが…。
 何気に芸が細かいことに驚きです;
 PSO2にも同じように東京フィールドにコンビニなどがあり、コラボ企画で現実の店舗とリンクしたりしていましたね。

 撃ち合いに際しては、被弾を防ぐ壁以上のものを求められることのない、単なるオブジェクトに過ぎません。
 ここまで作りこむ必要などありはしないでしょう。
 作りこんだところで、戦いの最中に細部まで見る人などそう多くはないでしょうから。

 でも。

 世界はこうしたありふれた、小さなパーツが組み合わさって出来ているのです。
 『大体こんな感じ』という、ぼやけた形では掴みたくても掴めません。
 それを大事にしているようで。
 こうした細やかさは、個人的には非常に好もしく思います。



■考えすぎ?

 Twitterのトレンドに、麻薬に関するキーワードがあるのを見かけました。
 どうやら芸能人が逮捕されて注目を集めたようですね。
 その辺の事情に疎いので、それそのものについては思うところのない鈴蘭ですが…。

 麻薬…かぁ。

 人と麻薬の出会いは石器時代にまで遡ると言われています。
 その当時の人は、自生するケシを見付けても有効に活用する術を持ちませんでしたが、紀元前数世紀頃のヨーロッパにおいては宗教儀式や医療に用いられるなどしていた歴史があるようです。
 東アジアでは三国志の主人公の一人である曹操の主治医、華佗(かだ)が麻酔を用いた外科手術を行ったという記録があり、これが世界最古の手術例ともされています。
 中国では華佗は『神医』として崇拝の対象になるほどの高名な医師です。

 しかし、彼の名前は中国式のものではなく、一説にはシルクロードを渡ってきた胡人(ペルシャ人)だと言われています。
 それに加え、当時の中国は儒教思想によって「如何なる理由であれ、身体を傷つけることは祖先に対しての冒涜である」とされていたこともあり、華佗の外科手術に関わる技術を継承する人はおらず…。
 また、曹操との不和の原因は当時の医師の社会的地位が低く、華佗の働きに対して曹操が十分に報いなかったからとも言われており、『神医』と称されながらも、彼の置かれた環境が決して恵まれたものではなかったことが窺えます。

 彼に関する著作は多いものの、曹操との不和が元で獄死した為もあり、彼の全てを伝えられておらず…彼が何を思って故国を離れ、遠く中国の地で医療に携わっていたのかは分かっていません。
 獄中で死を迎える直前、華佗は獄卒に自身の著した医学書を託そうしますが、曹操の怒りに触れることを恐れた獄卒はこれを断り…華佗は知識が悪用されることを恐れ、自身の手で本を焼いてしまったとも言われます。(諸説あり)
 この結果、中国で再び外科手術が行われるようになるのは千年以上も後のことになりました。

 もし、それを知ったら…華佗は何を思ったでしょうね。



 薬も技術も、使い方ひとつ。
 どれだけ優れたものでも、広まれば道を誤る人が現れます。
 そんなことはあってはならない、と華佗は考え本を焼いたのでしょうか。

 …なんというか…。

 現代において麻酔を用いた外科手術が当たり前になっている現実を見ると。
 華佗の行いは、人の善意を信じることが出来なかった末の悲しい選択、のようにも思う鈴蘭です。


独り言 その壱千七百壱拾四

 大きいだけの鈴蘭です。

 ノートの上端をスタート、下端をゴールとして。
 それぞれが一つだけであれば、鉛筆で一本、真っ直ぐ線で結べば道が出来上がります。
 この線が他の線と交わってはいけない、というルールの元…。
 では、このスタートとゴールの数を増やしていきましょう。
 更に、ノートの左右の端にもスタートとゴールを作りましょう。
 あ、スタートとゴールはペアのものとして、違うペアのスタートとゴールを結ぶのはNGで。

 …そうして線を結んでいけば、ノートが真っ黒になるのも時間の問題ですね。

 限られた紙面により多くの線を書き込む為、鉛筆から細い線の書けるシャーペンに変えたところで限界があります。
 さて、どうしたものか…。

 …と。

 CPUの構造上の問題を、鈴蘭なりに例えてみました。
 現在のCPUは、物理的に今以上の性能を実現するのは困難だと言われています。
 ノート上の線の数が増やせない…ダイの上の回路の数を増やせない…以上、どうしようもありません。
 集積技術の限界です。
 これを突破する為に考えられたのが、複数のCPUを繋いで並列処理をさせる…1つのノートで駄目ならノートを増やせば良いじゃない…という方法ですが。
 繋ぐCPUの数が増えればそれに比例してデータが回路を通る時間が長くなり、並列処理による時間短縮のメリットより、データの移動時間のデメリットが上回ることになります。
 ならば、と考えられたのが未来予測技術です。
 未来予測、なんてSFな響きですが…小説やアニメのもののような大層なものではありません。
 CPUが処理する機械語には文法があり、ゲームであれデザインであれ、会計処理であれ…それぞれにある種の規則性があります。
 この規則性に基づいて次に来る確率の高い命令を予めCPUに準備させておくことで、処理速度を上げる…というのが今のCPUの高速化のタネ。
 最近AMDのRyzenが躍進目覚ましいのも、一つにIntelの未来予測技術に劣っていた部分を克服したからだ、と言われているくらいです。

 ゲームにおいて、このタイトルはGTXではイマイチでも、RTXでのスコアは伸びる…なんてのも、(厳密には違いますが)脈絡としては同じ。
 RTXのCPUが命令をスムーズに実行できるよう、予め機械語を整理しているのです。



 …そんな便利な未来予測ですが…。




 Intelは長年、未来予測を行う回路を同じ設計思想で設計しており、どのCPUもハードウェア的に同じ問題を抱えています。
 新世代のCPUにおいて克服されるのかが注目点であったのですが…。
 どうやら、『また』のようです。

 このパッチをあてるという対応は、都合の悪いノートの一部は千切って捨てるから大丈夫、というようなもので。
 やってしまうと使える紙面が減ってしまい…CPUの処理効率の上から言えば、決して良いことではありません。

 それじゃ駄目だと言われていたのに繰り返してしまうとはねぇ…;



■今日のニークス

 ランスが楽しいと感じるものの…。
 これでいいのかと考えてしまうEDF隊員鈴蘭です。

 敵を前に盾を構え、サイドスラスターを吹かせて横にダッシュ。
 敵の周りを円を描くように移動しながら、槍を突き込む。
 近寄りすぎれば円を大きく。
 敵に背を見せず、月のように正面だけを向いて、ぐるぐるぐるぐる。
 一人で戦っている時、この方法で大体の状況は何とかしてきました。
 いえ、何とかなっていた…と思うのですが。

 先日、初見で出会った『かの者』にも、ぐるぐる回って戦いました。
 ただ…。
 その時はオンラインのマルチプレイ。
 銃を構える味方の存在があったのです。

 ぐるぐる回りながら…私が敵にまとわりつくことで、味方の邪魔をしていたのではないか…というのが心配でした。

 盾とランスで白兵戦を仕掛け、敵のヘイトをこちらに向けさせて味方を守る。
 倒しきれないまでも、持久し続けることで貢献する…。
 その方法として、あれは正しいものだったのでしょうか?

 私個人が生き残る、という点では正しい…とは思うのですが。
 味方の為になっていたのか分かりません。



 何をどうしたら…。



 明日から三連休。
 動画で勉強するなり、時間を上手く使いたいものです。

独り言 その壱千七百壱拾参

 大きいだけの鈴蘭です。

 そういえば、昨日…この文の投稿日付的には一昨日ですが…は、令和1年11月11日と1並びの日だったんですね。
 それに因んだ呟きがTwitterのトレンド入りしているのを見かけ、ようやく『ああ、そういえば』と気が付いた鈴蘭です。

 11月11日はヨーロッパでは第一次世界大戦休戦記念日ということで休日に指定されている日だとか。
 終戦記念日ではないのは、休戦協定が締結された後も戦争が続いたからで、7ヶ月後のヴェルサイユ条約が締結された日が終戦記念日と言われています。
 …もっとも、そのヴェルサイユ条約をアメリカが批准せず、また条約締結後も各国の植民地間での戦争が尾を引き、その上オスマン帝国の講和協議が紛糾したこともあり…戦争が終結を見たのは休戦協定締結から5年も後のことになります。

 …何をしてるんでしょうね。

 思えば日本も連合国側に立って参戦した戦争なのですが…主戦場が遠くヨーロッパであったこともあってか、いまいち馴染みがありません。
 そもそも義務教育で歴史を学ぶ場合、近現代は疎かにされがち。
 私が通っていた学校の先生は、『古代から今に至るまでの流れが歴史。途中で途切れるようなことはしません』と、授業を行う方で…。
 時々の事柄を物語を語り聞かせるような話しぶりは、先生というより講談師というに相応しい印象がありました。

 …あの先生の授業は楽しかったなぁ…。

 メッテルニヒの『会議は踊る。されど進まず』の先生の語りなど、今でも頭に残っていますからね。
 私にとって、よほど印象深かったのでしょう。
 思えば歴史に関心を持つようになったのも、その先生の影響もあったかもしれません。



 歴史など、人の欲に塗れた悲劇の連続なのに…などというのは悲観的に過ぎますか。




 見上げれば、そこには変わらず輝く星。
 あの輝きに比べれば…人のあれもこれも、些細なことです。



■今日のニークス

 遠め遠めを意識する。

 動画を見て気付けたのは、私の持つ武器の間合いが明確であったから。
 …というのも変でしょうか。
 持っている槍の穂先で突くのではなく。
 槍を握る手で殴るようにしていたのが私でした。

 遠すぎては槍が届かず。
 近すぎては槍を振れない。

 それは槍という、私の目にも見える物差しがあればこそ分かったこと…なのかな、と。
 そんなことを思った鈴蘭です。



 これが銃だと、弾の届く限り何処までも…となり。
 何処に区切りがあるものか判断が出来ません。
 此処が前なのか後ろなのか。
 私には、それがいつも曖昧で。
 何処に立ったものか、迷ってばかりいます。

 『弾の届く限り』

 そんな考え方自体がおかしいのだ、と。
 最近になって思うようになったのですけどね。
 しかし、まだまだです。