独り言 その壱千参百四

 大きいだけの鈴蘭です。

 夜起きて。
 アラームの鳴り出したスマホ様を手にとって宥め…。
 画面に浮かび上がった速報を見て、思わず『えー…』という呻きを漏らしてしまいました。




 いえ、地域にとっては良いことなのです。
 サミット開催という明確な目標のために、行政と民間が力を合わせ、これまで見過ごされてきた問題に取り組むことも期待できますから。
 …ただ…。
 先進主要国の首脳が一堂に会する国際会議。
 当然、警備は厳重なものになることでしょう。

 特に…昨今、米朝関連でキナ臭い話も聞こえてきています。
 この春にも変時があるかも知れない。
 …そんな憶測も飛び交う状況です。

 そんな時期に、この大阪で…。

 大阪に住む人間としては、厄介なイベントになることに違いありません。
 公共交通機関の一時的な混乱くらいで済んでくれれば良いのですけど…。



 はてさて…どうなることやら。



 ちなみに、これって大阪の何処で開催なんでしょ…?
 一口に大阪と言っても、それなりの広さがあります。
 大阪の何処でイベントを行うかで、私の住処への影響の度合いも変わってきます。
 そんな疑問を持ちつつ記事を読み進めていくと…。

 『大阪市住之江区の大阪国際見本市会場を想定している』…?

 …って、感謝祭を開催したのと同じ…インテックス大阪じゃないですか、コレ; 
 まぁ。
 『大阪府』が開催するのなら、関空付近の施設を使用できたことでしょうが…。
 このイベントは『大阪市』で開催とあります。
 大阪市内で、国際会議を開催できるくらいの場所なんて…。
 感謝祭のときにも言いましたが、インテックス大阪くらいしか思い付かないんですよね…;

 意外と近い場所での開催。
 何が変わる訳でも無いのかも知れませんが…。
 ただ、仕事への影響を考えると…今から憂鬱ですねぇ…;



■考えすぎ?

 本当に今更で。
 本当に何度目のことか…という話ですが。
 思うところがあって、先日から絵の練習を改めて始めました。
 ああ、いえ、練習…と言っても特別な何かをするわけでもありません。

 これは、あくまで私の持論ですが…。

 描きたいものの立体像をイメージすること。
 鉛筆を持つ手を正確に動かすこと。

 絵の技術の巧拙の違いは、この2つを結びつける経験の差だと思います。
 よく才能の差…と言う人がいますが。
 その『才能』は、出発が早いか遅いか、進みが早いか遅いか…その度合いの違いであって。
 根気さえあれば、誰しもが一定のレベルにまで到達できるものだと思っています。

 私は、人から『上手』と言われるたび。
 今の私が、あなたのほんの少し先にいるというだけで、特別なことなど何もなく。
 少しくらい早かったからといって、日々怠けていては…結局、私のように何処に行き着くことも出来ず。
 あなたがその気になりさえすれば、きっと直ぐに私など追い越せる。
 …そんな風に思うのです。



 とにかく、描くこと。
 全ては、そこから始まります。

 アリとキリギリス。
 ウサギとカメ。

 …昔話の通り。
 継続する事こそが『才能』なのですから。





 …そういえば。

 前に…私が描いているところを見た職場の人が、『そんなことしてるんですか?』と驚いていたのですが…。

 私は落書きで練習するとき、ボールペンでの一発勝負で臨みます。
 職場での1時間毎に設定された10分の休憩時間。
 その間に、思いついたものを描くのです。
 誰かに習った訳でも、勉強したわけでも無いので、技術的なことは分かりません。
 なので…下書きもアタリもありません。
 思ったままに手当たり次第…それがいつもの私です。

 『なんで鉛筆で描かないの?』

 そうも言われるのですが…。
 鉛筆だと…私の場合、駄目なのです。

 私は気の弱い人間です。
 その為に、失敗を恐れ…鉛筆を使うと、描いては消し描いては消しを繰り返し。
 線を幾つも重ねて輪郭をぼかし。
 そうして…自分が求めていた筈の形に答えを出さず…自分に嘘をついて誤魔化してしまうのです。

 ボールペンを使うのは、私自身に『逃げるな』と言い聞かせる…戒めのようなものなのですね。



 …これは。
 私にとって、人との間のことでも同じなのかもしれません。



 一度形にした言葉を、無かったことには出来ません。

覆水盆に返らず

 覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)は、ことわざの一つ。下の由来から、「一度離婚した夫婦は元に戻ることはできない」、転じて「一度起きてしまったことは二度と元には戻らない」と言う意味。覆水収め難し、覆水不返(ふくすいふへん)、覆水難収、覆水不可収とも。

 太公望が周に仕官する前、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。
 太公望が周から斉に封ぜられ顕位に上ると、女は太公望に復縁を申し出た。
 太公望は水の入った盆を持ってきて、水を床にこぼし、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。
 女はやってみたが当然できなかった。
 太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻ることはない。それと同じように、私とお前との間も元に戻ることはありえないのだ。」と復縁を断った。

                 【Wikipedia:『覆水盆に返らず』より】



 …故事の通り。
 言葉は、相手の中でしっかりとした形をもって残るのです。



 私は…そうして、相手の中に出来た形と確執が起こることを恐れ。
 決定的な破綻が起きないよう…。
 良く言えば、物腰柔らかく。
 悪く言えば、掴み所の無い言葉を選んで話しています。

 ただ…。

 こうして話す言葉だからこそ、相手を傷つける事も。
 なぜなら、こうした私の態度は、相手に理解されないように意図的に避けている…とも言えますから。

 相手を理解せず。
 相手に理解させず。
 
 それで距離を詰めること無く、なんとなく良い関係を築く。
 何をもって『良い』とするのかは、判断の分かれるところだとは思います。
 ですが、これも一つの在り方ではあるでしょう。

 

 …あるのでしょう、が…。



 それは相手への誠意のある態度といえるものなのか…そんな疑問は感じます。
 こんなことを口にすれば、『なんで、そんなことを言うのかなぁ…』という呆れが返ってくるかもしれません。
 あるいは怒られるかもしれません。
 その関係を作った当人である私が言うべきでない事ですから。

 それを敢えて口にするのは…言ってみれば『呵責』…でしょうか。
 相手を傷つけてはいないだろうか。
 相手を騙すようなことをしてはいないだろうか。
 それは、どうでもいい相手であれば意識しないであろうものです。

 …実は、これが私には怖いのです。

 それというのも…過去に、こうしたことで行き違いがあり。
 以降の私は、絵やプログラムといったものへの熱を失ってしまいました。
 当時は随分と悩みもしましたが…。
 結局、なるべくしてなったのだ、と。
 寂しくも感じていますが…今は納得しています。



 だからといって、同じことは繰り返したくはありません。
 でも…同じことを繰り返してしまうかもしれません。



 鉛筆で書いて、消しゴムで消して。
 それまでが無かったことのように、新しく書いて。
 …そうして繰り返して良いものではありません。

 ペンで書いて。
 消えないそれを見せて、『こんな私でも良いのでしょうか?』と。
 相手にとって、それは無粋極まりないことなのかもしれませんが…。

 それが私なりの誠意の示し方なのです。



 …まぁ、それでも身を守ろうとするのが…私の度し難いところなのですけどね…;
 『言わないよりは言ったほうが。』
 そんな言葉も、結局は私の都合でしか無く…。
 …って、そんなこと言ってたら、何処まで行っても結論なんて出ませんね;

 私が決めるべきこと。
 相手が決めるべきこと。
 その領分を守ること。

 それを弁えなければ…私は本当に何もかもを失ってしまうでしょうね…。
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独り言 その壱千参百参

 大きいだけの鈴蘭です。

 出勤準備を進めている途中。




 アズールレーンの公式生放送の告知を見つけ、何の気は無しに覗きに行った鈴蘭です。

 告知にある『謎の新情報』とやらにも興味があったのですが…。
 そもそも、ネットワークゲームの公式番組というものが、一体どんなものなのか…私はPSO2の生放送以外を知りません。
 いい機会ですし、見てみるのもいいかと思ったのです。

 比較するものでもないのかも知れません。
 『他がこうだったのだから』で、同じ何かを求めるのは違うとも思います。
 でも…。
 そもそも今の私は『これしか知らないから、これが一番』という状況です。
 それは『当人が納得しているなら良いんじゃない?』ということの一つですが。
 在り方として、『より良いもの』を望むのであれば…。
 知るべきなのですよね。
 より多くを。



 まぁ…。



 何をするにもトロいので、あれもこれもは出来ません。
 たとえ、ゆっくりでも一つ一つ。
 その中で、僅かでもモノにできるのであれば、私には大成功というものでしょう。



 …などと考えつつ、インスタントコーヒーを淹れ、パンを取り出して朝食を準備。
 さて、席に着いてさっさと片付けるか…というところで。



 アズレン公式『ボトムズとコラボします!』



 …おー、ボトムズと…。



 …。



 え、ボトムズ…??



 何かを求めて戦場に来る者。その日の飯にありつくために引き金を引く者。理想のために戦う者。そして、硝煙と死臭の中でしか生きられない俺。
 ここは、神の住処じゃない。
 ただの瓦礫の山だ。
                 『ボトムズ名言集』より






 両者には『戦争』を扱った作品同士という共通項はありますけど…。
 アズールレーンとボトムズを並べて語るって…こう、なんというか…。
 『世界観とか大丈夫?』という心配が…。

 キャラクターを前面に押し出しているために、キャラクターにネガティブな要素が組み込めなくなっているアズールレーン。
 非情であるはずの戦争であっても、そこには必ず『救い』があります。
 ゲームシステムにおいても、シナリオにおいても…キャラクターの不可逆的な『死』というものがありません。

 手塩にかけたキャラクターを死なせてしまえば、もう戻らない…。
 そんなシステムでは、私のようなゲームが下手な人は怖くて遊ぶことができないでしょう。
 こうした『救い』は、批判すべき甘さなどではなく…愛すべき良さであろうと思います。

 その一方で…。

 ボトムズという作品は、その対極だと思うのですね。
 戦場とは非情なものであって、そこに救いなどない…という。



 スーパーロボット大戦みたいなゲームもありますし、両者を並び立たせる方法はあるでしょう。
 しかし、そうしたものが今のアズールレーンを楽しんでいる人たちに受け入れられるかは…また別の話だと思います。

 実際…どうなんでしょうね?
 私個人としては、世界観が合うものなのか…不安があるのですが。
 好意的に受け止めている人って、多いんでしょうか?

 アズールレーンでは、命を道具と考えているかのような絶対悪的な存在がいるので、それと絡めれば面白い話も書けそうではありますが…。
 匙加減が難しいようにも思います。
 オリジナルを大事にすれば、アズールレーンの中で異質の存在のまま浮いてしまいますし。
 かと言って、アズールレーンの世界観に合わせてしまっては、コラボの意義が薄れてしまいます。
 キャラクターの絵が違うだけで、やってることはいつもと同じ…というのでは、ユーザーに呆れられてしまいかねません。
 ユーザーに広く『やってよかった』と思わせるには、何かしらの工夫が必要になるでしょう。

 これはコミケの時に聞いた噂ですが…。
 運営はマジンガーだったかのファンで、コラボを希望してる…なんて話を耳にしたことがあります。
 その時は、その場にいた人たちで『まさかしないでしょw』と笑い飛ばしていたのですが…。
 こうしてボトムズとコラボしたことを思えば。
 何れは、合体ロボや超合金ロボがアズールレーンに登場するのかもしれませんね。

 …いや、それはそれで…面白そう…かも?

 ネプテューヌとのコラボでは、『上手くまとめた』という評価を耳にしています。
 そんな運営の手腕に期待…でしょうかね;



■今日のニークス

 んー…。

 此処しばらく。
 スプラトゥーン2での鈴蘭は、解説動画を見て、試し撃ち場で標的相手に狙いを定める練習をして、実戦で腕試しをして…ということを繰り返しています。

 …しかし。

 自省…というのでしょうか。
 こうしたときには、過去の自分を振り返って、何が良くて、何が悪かったのかを検証・確認するのが最善なのですが…。

 何をしたから良くなったのか。
 何をしたから悪くなったのか。

 そのサインを見逃さないことが大事だというのに、鳥頭の私は直ぐに忘れてしまうのです。
 このために、同じところを飽きもせずにグルグル、グルグル…。
 進歩というものがありません。
 流石に、馬鹿の私でも『これはいけない』と思うようになり。
 何か手立てを…と考えながら、解説動画を見ていて…。



 …あぁ、自分のプレイ動画を撮って、それを見返せば良いんじゃ?



 自分を客観視するのに、これ以上の手はないでしょう。
 幸いといいますか…。




 Switchには、標準でゲーム画面のキャプチャ機能がついています。
 動画撮影にも対応しており、『あ、今の撮っておこう』と思ったところでボタンを押すと、30秒前から現在に至るまでの動画を作成してくれるのです。

 これはこれで便利な機能ではあるのですが…。

 いかんせん、録画時間が30秒だけ…というのがネックです。
 練習中の見返しには十分でしょう。
 しかし、実戦の中でのポイントを見返すには録画時間が短すぎます。
 見返すべきポイントを心得ていないことには、そもそも動画を残せないのですね。



 …これは、何か考えたほうが良いのかなぁ…。



きゃぷちゃ(´・ω・`)
 サイトを巡ってみると、『実況者御用達』みたいな機械もあるようです。
 こうした機械を用いれば、実戦のすべてを録画し、それを見返すことも出来るでしょう。

 うーん…。

 PS4の購入は『ボーダーブレイク』や『戦場のヴァルキュリア4』をターゲットにして、キャプチャ用の機械の購入を検討してみましょうかねぇ…;

独り言 その壱千参百弐

 大きいだけの鈴蘭です。

 一時に比べ、寒さの緩んだ大阪ですが…。




 全国的にはそうでもないらしく。
 日本海側では記録的な大雪が降るなど、大荒れの天気が続いているようです。

 先週は、アズールレーンで話していた人が、実は遭難中だった…なんて事もあり。
 画面の向こう側にだけある、遠い世界の話ではないのだなぁ…と、思ったものですが…。

 昨日のことです。

 日頃から良くして頂いている友達が、山中で吹雪に遭って動けなくなる…ということが。
 幸い、アズールレーンのチャットができる状況でしたし、すぐにどうこうなるような深刻な事態に陥っていないようで一安心。
 …しかし、先がどうなるかなんて分かりません。
 福井での大雪で車中に缶詰になった人たちの中には、体調を崩す人も少なくなかったと聞きますし…。
 この方が心配な状況であることには、変わりがありませんでした。

 最近の車は燃費性能も良く、アイドリング状態で1日放置するくらいは問題ありません。
 そうして暖房をかけ続けて、暖かい車内で救助を待つことも出来るのですが…。
 JAFや自治体のサイトを見ると、大雪で立ち往生した際には、車のマフラー(エンジンの排気口)付近の雪かきをするよう指導しています。
 これは、雪がマフラーを塞いでしまうことで一酸化炭素が逆流して車内に充満する危険性があり、車内の人が一酸化炭素中毒になるのを防ぐ為。
 エンジンをかけたまま雪の中…というときに注意すべき事なのだそうです。

 最近は大雪が続いたために、マフラーの雪かきのことを思い出す人は多いようですが…。
 その一方で。
 意外と、こうした時に『二酸化炭素中毒にも注意すべき』という事は知られていないようですね。

 まぁ、これは車に限ったことでは無いのです。
 気密性の高い部屋に長時間居れば、自身の吐く息で二酸化炭素の濃度が上がります。
 こうして二酸化炭素濃度が高くなっていくと、やがては意識障害などの症状を伴う二酸化炭素中毒にかかる危険性があるのですね。
 外は寒いから…と、車の窓を長時間締め切ったままだと健康を害してしまうのです。

 今回のように吹雪の中での立ち往生では、対向車や後続車に轢かれる可能性があるので、無闇に車外に出るのも危険ですが。
 こうした時は寒くても少し窓を開けて、換気するのを忘れないようにしないといけなかったりします。

 …と。

 お話を伺い、慌ててこうした事を調べたりなんなり。
 それで私が何か出来るわけでもないのですが…だからこそ、『大丈夫』ということを裏付ける何かが欲しかったのかもしれません。
 そうして気を揉んでいる内に…。
 ふと時計を見ると、既に数時間が経ってしまっていました。

 さっき見た天気予報では、そろそろ雪も止む頃の筈ですが…。

 そこで、開きっぱなしのアズールレーンのチャットログが流れているのに気が付き。
 ツラツラと遡ると…。
 当人の『下山しました』の文字。



_(:3」∠)_
…よかったぁ…。




 私はこの世の全ては『無常』と考えています。
 どんなことにも、人の都合などお構いなしに終わりが来る…『そういうもの』という理解をしています。
 しかし…『そういうもの』として受け入れられるような、後悔のない生き方をしているわけではありません。

 …というか、私の場合…後悔ばかりです;

 人との繋がりは…いつ、どこで切れてしまうものか分かりません。
 『一期一会』『会者定離』という言葉は、悲観的にも聞こえてしまいますが…決して有り得ないこと、ではないのです。
 まぁ、それだというのに…私は、なんともぞんざいに扱っていますからね;
 そのつもりがなくとも、そうなってしまう…ダメな人間の典型な私なのですよ。



 …というところで、考えすぎてしまう私です。



■考えすぎ?

 対人関係の経験値にの乏しい私にとって…。
 人に何かを伝える、というのは本当に難しい。
 …そう感じます。

 此処でこうして書いているのは、私が思いついたことを、特に脈絡もなく書き連ねているもの。
 その全ては、自分が自分に対して発する言葉で。
 お互いが、お互いの言わんとしていることを分かっていることが前提となっている言葉です。
 なので、こう…ブログである以上、誰かに読んでもらうことを意識している…と言っても、『相手に理解させるように伝える』という意識が薄いのです。

 …いえ、薄いのだと思い知った、というのが正確ですね;

 井戸の底で世界の広さを語るかのような人間のこと。
 ハナから、ウミガメ(※)が語る本当の世界の広さなど頭にないのです。



 

 ある古井戸に一匹の蛙が住んでいた。
 蛙が井戸のそばで遊んでいると、一匹の海がめに出会った。
 蛙は得意げに海がめに言った。

 「僕が住んでいるこの井戸は楽しいとこだよ。 井戸の縁からジャンプして遊ぶんだ。 ひとしきり遊んで疲れたら井戸の中の壁の窪みで休めばいい。 鼻だけ出して、水にぷかーと浮かんでいるのも悪くないね。 やわらかい泥の中を散歩するのなんて、ほんと最高だね。 他の、蛙やオタマジャクシは僕にはかなわない。 なんてたってここは僕の井戸なんだから、自由自在なんだ。君もいつでも遊びに来てよ」

 ところが、海がめが井戸に左足を突っ込んだだけで、もう右足はつかえて入らない。
 彼はためらって後ずさりすると、海について蛙に語った。

 「海はどこまでも広くて、どこまでも深い。 昔禹王の頃、10年間に9年もの間、大雨が降りつづいたけど、海の水はほとんど増えなかった。 それから後湯王の頃、8年間のうち7年間もひでりが続いたけど、海の水はちっとも減らなかった。 海に住むのはほんとに楽しいよ」

 蛙はびっくりして、口もきけなかった。

                      【荘子・秋水】





 内へ内へと考えを向けていくうちに…不必要に言葉を飾る癖がついて、いつの間にか人のための言葉というものを忘れてしまったようです。
 他人に自分の考えを形にして伝えるためにある言葉だというのに…。

 中身のない人間は言葉を飾りたがるといいますが…全くその通りです;

 誤解なく伝えることこそが大事なのですから、簡潔、明瞭…それでいいですけどね。
 中身がないと思い込んで…一人で不安になって、言葉を足して。
 それが間違いでした。



 見栄なんてつまらない。



 …そう考えているはずなのに。
 此処での独り言も、だんだんと…。
 そんな風にも思えてきます。

 自分に出来るであろう、数少ないことで後悔はしたくありません。
 出来ることなら、ちゃんと…伝えられるものは誤り無く伝えたいものです。

 そうでなければ…。

 有り難いと思っていたはずのものまでも、失ってしまうでしょうから。

独り言 その壱千参百壱

 大きいだけの鈴蘭です。




 …あぁ、今日ってバレンタインでしたか…。
 チョコレートが売られているのを街で見かけ、その時期だという認識はありましたが…そうですか、今日でしたか;

 私には人と物をやり取りする習慣が無いため、どうしても…こうしたイベントに疎くなってしまいます。
 

アリストテレスは『国家』において、人間は「zoon politikon (ポリス的な動物)である」と述べた。
人間というのは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物には見られない)独特の自然本性を有する動物である、ということを述べた。
                   【Wikipedia:社会的動物



 贈り物というものが、人と人との関係をより良くするためのツールであるならば。
 そのツールの扱いを知らない私は、社会的動物失格…というところでしょうか?

 …そう言われると納得してしまうような…ショックなような…。

 この手のイベントに無関心であったために、自然と…という感じで。
 ことさら避けようと思ってなったわけではないのですけどね;



 ところで、イベントといえば…。
 去年のクリスマスのこと。



 折角なので、日頃お世話になっているフレさんに、クリスマスのプレゼントを…と考えた鈴蘭でしたが。
 こうしたときに、何をプレゼントするのが良いのかは難しいところ。
 何を贈ったものか…考え込んでしまいました。

 お金を渡して『何かの足しにしてください』というのは実用的ではありますが…。
 社交辞令で贈るお歳暮やお中元ではないのですし、個人的にはちょっと無粋にも感じます。

 欲しいものが分かっているなら、それそのものを贈ることも考えられますが…。
 それが高いものであったりすれば、贈り物とするにも相手に遠慮されてしまうかもしれません。

 定番の何か…それこそ花束のようなもの…は、当たり障りがありませんが…。
 当たり障りが無いということは、結局は形だけのものとなり…相手の事を何も考えていないのと同じにもなってしまうでしょう。

 相手との関係によって、相応しいもの…というのは変わります。
 自分にそのつもりがなくとも、贈り物で相手に誤ったメッセージを送ってしまっては、元も子もありません。
 ちゃんと考えて、出来ることなら喜ばれるものを…と。



 これは、傍若無人の私には難しい問題です。
 


 …取り敢えず、クリスマスらしくする為の必須アイテムを手にしなければ始まりません。
 早速、公然とアークスの横流し品が扱われているお店に行き…。

これな…(´・ω・`)
                       (C)SEGA

 うん、ありましたありました。



 プレゼント用の箱を買い求め。
 トナカイさんはミッションを開始しました。

 いざ、留守宅へ侵入…。

 こうしたとき、トナカイさんの姿は好都合ですけど…。
 玄関から入るのは、どうなんでしょうね…これ。
 まぁ、煙突から入るにしても、肝心の煙突が無いのでは選択の余地もないのですが。
 リアルじゃ不審者判定不可避ですよね…。

 …って、馬鹿なことを考えてないで、プレゼントを置きましょう。
 家人が帰ってくる前に引き上げねば、トナカイでありながらクリスマスの夜をブタ箱で過ごすことになってしまいます。



 箱を置いて…っと…。



 …。



 …えーっと…。



 『クリスマスギフト』ではなく…『クリスマスプレゼント』の方だったんですね…これ;
 相手のお宅に置いたところで、中身を選択するアナウンスが出ずに操作が終了してしまって…。
 そこで初めて間違いに気が付きました。

 こんな…箱だけ、というのでは家具テロと変わりません。
 でも、かと言って、ここで改めて箱を置くのは相手に迷惑でしょうか…。

 どうしたものか、しばらく考えて…。
 
 『このまま、間抜けを晒すのが私らしくもあるか…;』と結論を出し。
 箱だけを置いて、お暇した鈴蘭です。



 …思えば、変なものですね。



 私が相手に贈るとき。
 相手に使ってもらいたいと考えて、プレゼントを選んだわけですが。
 それはきっと、相手が私に贈ってくれるときも同じこと。

 私がきちんと受け取って、初めて相手の気持ちに応えることになるのです。

 …それは、私にも分かっています。



 でも…。



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                       (C)SEGA


 こうして贈られたプレゼントの箱は…。
 私には勿体なくて開けられません;

 私に贈られたという、この形。
 私のことを考えてくれたという、この形。
 他の誰でもない、私のための、私だけの形です。

 開けなければ気持ちに応えられません。
 ですが…。
 開けて、この形が失われてしまうのを惜しいと思ってしまいます。

 この形に意味があるわけではないのは、承知しているのですけどね;

 でも…この形を通して、見えるはずのない時間をみているような気持ち…とでも言えばいいでしょうか。
 目の前に、此処に至るまでの時間が形になっているようで。
 開けなければ、それがずっと続いてくれるかのような…そんな感覚があるのです。



 これも、私が臆病な人間であるからこそのことかもしれませんね。
 相手との関係に自信があれば、こんなことを考えはしないでしょうから。



 …ああ。
 もしかして…あの開けられない『クリスマスギフト』は、こんな時のために…?
 …というのは穿ち過ぎですかね;




■追

 この一週間の記事は、ちょっとアレでしたね…。
 読み手のことを考えない内容が続いてごめんなさい。
 変な方向にスイッチが入ってしまったようです。

 昨日の記事に関しては、誤解が出来そうだったので…イレギュラーですが、今日になって修正している部分があります。
 それでもわかりにくいかと思いますが…;

 私としては、基本無料であれば代価は必要としなくとも、そこに傾けられた技術なりを評価して、それぞれが相応しいと思う対価を支払うのが良いのではないか…ということを言うつもりでした。
 


 いつも通りといえばいつも通りの私ですが。
 いつも通りとはいえない私でもありました。
 今週は、明日から3連休。
 ゆっくりと休んで…少し、自分を落ち着かせようかと思います;

独り言 その壱千参百

 大きいだけの鈴蘭です。



_(:3」∠)_
…つかれた。




 …このアスキーアート、入力システムにGoogleを使っているなら『たかざわじゅんすけ』からの変換で出すことが出来ます。
 最近目にするようになったので、気になって由来を調べてみたのですが…発祥不明のAA(アスキーアート)で、これ自体に『(´・ω・`)』のようなネガティブの意味合いを持つ特別な過去は無い模様。
 見たまま、受け取ったままのキャラクターのようです。

 この…だらけた姿は哀愁を感じさせますが…何処かコミカルで、悲壮感は感じません。
 いえ、むしろ…愛らしいと言うべき姿でしょうか…?

 …昨日の記事ではアレコレ書いて…正直、自分が自分であることの心の要である『結び』を解いてしまった感じになってしまいました。
 あれを書いた後、軽く鬱になって…リアルに『たかざわじゅんすけ』状態でしたよ…;
 


 …まぁ、ともあれ。



 ああして書きましたが…。
 私は、それで相手に何かを求めている訳ではありません。

 『だから、あなたに』ではなく。

 『改めて、あなたと』と。
 
 肝心の自分自身が曖昧なので、きっと分かりにくいことでしょうが…。
 たとえ僅かなものであっても。
 私と何かを共にしようと思ってくれることに感謝している気持ちに、変わりはなく。
 私は、私なりに…これを大事に思っています。



 この広い世界で偶々出会い。

 言葉を交わし、遊ぶ関係になる。

 …それは、望んだからといって、簡単に得られるものではない…これ以上はないであろうものなのですから。



■今日のニークス



 アズールレーンでは、新しいイベントが始まり。
 それに対応した建造(ガチャ)が配信されました。
 毎日それなりにゲームをしていれば、私のような微課金のユーザーでも結構な回数を回すことが出来ます。

 ただ…何分、全ては乱数の気分次第。

 回数を回したからと言って、望みのものに手が届くとは限りません。
 幸いなことに、私は今回のイベントで先行配信された3人について、次のイベントに影響しない範囲の出費で確保が出来たのですが…。
 ゲーム内のチャットを見ていると、こう…『出ない出ない』という嘆きを目にします。

 これに関して、当の運営が忠告をしていまして…。



 あまり引きすぎないように、と。



 アズールレーンは、PSO2と同じく基本無料のゲームです。
 どちらも、無料で遊べる範囲が広く…課金をせずとも十分に楽しむことが可能です。

 積極的に課金して、ゲームの攻略を進めている人に比べれば微々たるものですが…。
 楽しませて貰っている対価として、私も課金しています。
 パッケージ版のゲーム一本分くらいを目安にして、月額で言えば…アズールレーンだと4,000円くらいでしょうか。
 十分に楽しませて貰っているので、もう少し出しても良いかな、とは思うのですけどね。



 こうした課金に関しては、個人個人で色々と考えがあろうかと思います。
 ただ…。

 『基本無料だから、課金しなくても良い。』

 …そうした言葉には、首を傾げてしまう鈴蘭です。



 芸術…創作物というものは、生きる上では必ずしも必要とはされません。
 それは、心を豊かにし、生き方を変えてくれるものではありますが…。
 その価値というものは、有って無いようなもので。
 どれだけ優れた作品であろうとも、見る人が変われば、評価が変わってしまうものです。

 …そう、そうしたものだからこそ。

 自分が受け取ったものに対して、正当な評価…というものを示すべきかな、と。
 そんな風に思うのですね。

 これは日本だけのことなのか、私には分かりませんが…。

 形のあるものに対しては評価をし、代価を支払っても。
 形のないものに対しては評価せず、対価を支払わない傾向にあるように思います。
 それは…よく『技術者軽視』なんて言葉で語られている問題と同じ脈絡です。

 代価:品物の買い手が売り手に支払う金。

 対価:他人に財産・労力などを提供した報酬として受け取る財産上の利益。



 こうした傾向は、芸術や…サブカルにもあると感じます。
 サブカルも…結局、商品化されて形になったものに代価を支払っているだけで。
 必ずしも、それを作るための技術を評価し、対価を支払っているわけではないように見えるのです。



 …そして。
 ゲームにおける正当な評価を示す方法の一つに…『課金』があると思います。



 よく…課金の程度を指して、『重課金』や『非課金』だのなんだのという言葉を耳にします。
 自分の物差しを相手に当てて、代価の額が『多い』『少ない』と言うのは…まぁ、良いでしょう。
 課金の額が多い人の、のめり込んでいる姿に危うさを感じなくもありませんし。
 課金の額が少ない人の、不自由している様子には同情を感じなくもありませんから。

 ですが…ゲームに対する評価の尺度は、人それぞれに違うのです。 
 対価が『多い』『少ない』ということで、その人のゲームへの姿勢をあげつらう事はないと思うのですね。

 その人が、それだけの価値があると思って出したのであれば…多かろうが、少なかろうが、それで適正なのです。
 無論、浪費はすべきではありません。
 しかし、それならば…対価は少ないほうが良いのでしょうか?

 …そうではないでしょう。

 正当に支払われるべき対価までをも『浪費』と捉えてしまえば…。
 私たちは、私たちが好もしいと思う何もかもを失ってしまいかねません。

 少しでも、それを大事と思うのであれば。

 私たちは、私たち自身のために評価し、適正な対価を支払うべきなのです。








 他人の『多い』や『少ない』ではなく。
 自分の『損』や『得』ではなく。

 自分の手にしているお金は、何に対して使えるものなのか。

 好きなものの為に、それを考える必要があるのではないか…と。
 そんなことを思った鈴蘭です。